法廷における科学についてである。科学的事実の問題が裁判で争われる時、例えば豊胸材が病気の原因となるかどうかのような場合だが、その答を出すのに科学研究の場と法廷とではアプローチが非常に異なる。法廷では、相手陣営に専門家として選ばれ、雇われた証人が召喚されて意見を述べる。彼らの意見は公表されたものであれ、未公表のものであれ、研究についての何かの言及を含んでいるかもしれないが、そうである必要はない。もし、研究が引用されても、その信憑性を評価する手続きはない。しばしば専門家証人は、漠然と彼らの“経験”について言及するだけだ。だから、彼らが提供するように求められるものは、本質的には経験に基づく推測だ。彼らはたいてい何かの資格を持っているが、科学的に高度な反対尋問を受ける特殊な場合を除いて、自分の結論の根拠を与える必要はない。こういうアプローチは、本質的に科学的プロセスとは逆だ。科学では、証拠が結論を導く。それに対して、法廷では、証人の結論がまずあって、それが法律上の証拠となる。こういう2種類のアプローチで生まれた答が非常に異なるのは当然だ。不一致の大半は単に、法律的プロセスの構造上の問題だ。しかし、私は二つの学問分野の間で相互理解を全く欠いていることがいっそうの悪化の原因だと信じている。法律と科学では思考方法が全く異なっており、それは各々の手法の違いを反映している。法律では敵対する相手陣営の言葉で質問を組み立て、弁護士は、あらかじめ準備された議論によって最もうまく問題を解決できると考える。対照的に、科学的方法は(理想的には)敵対的ではなく協力的であり、科学者はたいてい多くの情報源から証拠を緩慢に積み上げて答を見出す。異なる思考方法は染み込んだ染料のようなもので、本人達はほとんどは気づいていないかもしれない。
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