人間は、生まれながらにしてたいへん不公平にできている。だから、いくらきれいごとを言おうと、否むしろ、きれいごとを言えば言うほど出口がない世界でもある。こうした世俗の倫理(エトス)に対して、はっきりノーと言えるのはじつは宗教倫理しかないのである。宗教界もいろいろ腐敗があるようだし、俗世間以上にトロトロしたものがあることはよく承知しているが、少なくともキリストや釈迦の説いた原点に立ち返ってみれば、このことは明らかである。私はどの宗教宗派にも属していないただの俗人であるが、キリスト教の聖書や仏教書は時々読んでいる。キリスト教の倫理からすれば、唯一万能の創造主の前には世俗のランク付けなどまったくのナンセンスであり、人は皆、神から与えられた使命を持って生まれてくるのであるから、この世に役立たずの人間などいないし、また、その使命を果たすべくそれぞれの能力に応じた役割を一所懸命やればよい、ということになる。神の前では皆平等であるし、自分を愛するのと同じく人を愛せ、という教えからは気違いじみた出世競争やら受験競争が出てくるわけはないのである。