むかしは、日本でも戸というのは、やはり頑丈なものであった。たとえば、法隆寺伝法堂の前身は、橘夫人邸といわれる奈良時代の貴族住宅で、住居建築としては、現存している最古のものであるが、ここにとりつけられている板唐戸は、一枚板のバンとした立派なものである。奈良時代は中国建築の影響がつよかったからであろうといわれるのであれば、では、日本古来からある蔀戸(しとみ)という「のれん」のように上につきあげる戸はどうか。
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これも、蓆とかアンペラを使用していたような原始古代のものはべつとして、歴史時代以降は、大部分、板戸であった。平安時代になると、ふとい木の桟を碁盤の目にくみあわせた格子状のものが登揚するが、これとて、すきまこそあいていても、とてもやぶることのできない頑丈なもので、戸というにふさわしい。さてこの蔀戸の多くは、下半分が壁のようにたてこまれていて、人のでいりできない構造のものである。現代流にいえば「窓」ということになるが、しかしこれを半蔀とはよんでも、蔀窓とはいわない。