年老いて健康を損ねた父

2012-02-05

休日には群馬の家から父が来て、一緒に釣った。父は婿である。母の死後再婚した父は東京で平凡なサラリーマンとして勤めており、私は母方の祖母に育てられた。私が医者になるのと同時に父は定年をむかえ、群馬の田舎に帰った。実はその1年前に父は最初の脳梗塞を起こしていた。田舎の祖母が老いてきたので、その面倒をみるために私の継母である妻が群馬に帰ってしまい、東京での独り暮らしを余儀なくされたやさきの出来事だった。幸い、このときの発作は左半身に軽いマヒを残しただけで回復した。田舎に帰った父は、母屋には住まず、自分で建てた離れに住んで好きな絵を描いたり、釣りをしたりして暮らしていた。この時期に一緒にワカサギを釣ったのだが、私は父の根気のなさに驚かされることが多かった。どんなに釣れていても、1時間もすると、帰ろう、と言い出すのである。まったく釣れなくても、何時間でも微動だにしなかった父の釣り姿が記憶にあるので、この飽きっぼさは意外だった。そして、あとで考えてみるとこれが脳梗塞の後遺症であり、次の発作の前兆でもあった。その後、父は3回の脳梗塞と、関節リウマチ、心筋梗塞を発病し、71歳の今はほとんど寝たきりになっている。継母が面倒をみているのだが、彼女も老いてきており、これからどうしたらいいのか、医者のくせに私にも分からないでいる。父が寝込むようになってから、急に私の釣りの熱は冷めてしまった。男にしては細かすぎる性格の人で、あまり好きな父ではなかったが、一度だけでもいいから、元気なときに千曲川のアユを釣らしてやりたかった。以前から、元看護婦である継母とは、父になにか急変があったら、静かに家で看取ろうと話してある。しかし、いざとなるとこの暗黙の了解はもろくも崩れ、これまでに3度、救急車で入院している。たまに田舎に帰り、ベッドに横だわったままテレビを見続けている父の姿を見ると、哀れで言葉が出ない。そのくせ、引き取って面倒をみるとも言えない。親の面倒をみたのと同じように自分の子に面倒をみてもらえる、と昔の人は言ったが、なにもしていない私を見て、二人の息子たちはなにを考えているのだろうか。老人を病院に棄てていく家族たちに対して私はなにも言えない。言う資格がない。